- 渡辺 洋幸 (スズキJWRCエンジン部門/チーフエンジニア)
- WRC、JWRC、バイクスピークといったモンスタースポーツ/スズキスポーツのレーシングエンジンを一手に手掛ける。代表作は、バイクスピーク6連覇を達成した1000馬力超のV6ツインターボエンジンや純国産WRカー「スズキSX4WRC」の「J20」ターボエンジン、JWRCで3度のタイトルを獲得した「スズキスイフトスーパー1600」の「M16A」エンジン。
- 【スイフトスポーツ ZC33S モンスタースポーツ コンプリートカー】
- -早速こちらにZC33型スイフトスポーツのコンプリートカーをお持ち下さいましたが、プロトタイプという事なんですが、大分市販に近い形になって来ているのですか?
「まずはこの短時間で出来る限りの事、エンジンに関しては、まだこれからという事ですが、既に試作のターボチャージャーを付けて、性能までは確認を終えています。」
-どのメーカーよりも早くモンスタースポーツが、このスイフトのコンプリートカーをリリースするに至った。これにはスズキスポーツ時代、そしてモンスタースポーツ。ずっとラリー、その他の競技に関わってきたその実績が生きていると言っても良いと思います。中でもやはりJWRCですよね。
スズキスポーツ、モンスタースポーツ、JWRCのスーパー1600、世界最強の1600ccエンジンと言われたのですが、そのエンジンを担当されたのが、こちらの渡辺さんなんです。 - 【スズキスイフト スーパー1600 エンジンの開発のはじまり 最初はM13Aから...】
- -渡辺さんと言えば、これまでに色んなエンジンのチューニングをやって来ました。
軽自動車から、大きい方だとパイクスピークのV6 1000馬力 ツインターボエンジンまで。
そんな中で、今回はこのM型エンジンについてお聞きして行きたいのですが、2002年にJWRCに初めて参戦した時、その時M型エンジンを渡されて、 どんなエンジンだと最初は思われたのですか?
「まずはこのエンジンがどんな車に搭載されていたか,、そこから話をさせていただきます。例の79万円のスイフトに搭載されていたエンジンだったんです。
当初は1600ccだから、あの車に載っているって言ったら1300なんです。 当初はラリーカーは1600ccというカテゴリーだったのですが、ベースとしては、更にその上に1500ccというエンジンがあって、まずはそこから始まったのですが、 基本設計をする上で1300も含めて確認したところ、例えばクランクの軸径が細いとか、将来的に軽量が可能だとか、という事を含めて、1500も1300もシリンダーヘッドを含めて、 基本外装の構成は一緒だったんです。
だからスリーブの構成だとか、クランクシャフト自体が細い関係で、エンジン側はアルミが多かったにしてもその方が最終的にはクランクシャフト自体が軽く出来る。
もしくはエンジン全体の重量が軽く出来るというメリットを、その時に考えて1300でいけませんか?という提案を私がさせてもらって、 当時は規定の枠からちょっと外れていたので、FIAに確認してみると。
スズキさんが新規で参入してくれるのだったら、1300ccを1600ccにする事を認めましょうという事を言ってもらってスタートしています。
ですからまず1300ccの79万円の安い車に載っていたスイフトのエンジン=M型でこんな格好良いエキマニ当然付いてないですから、 当時は低燃費車みたいな部品が付いていましたから、本当にこれで性能出せるんだろう?世界に勝てるんだろう? っていう、そこからスタートです。」
-まず、どこから手を付けたのですか?
「まずは基本的なパッケージを、まずは作ってみようと。
やらずに細かい事をちょこちょこやっていてもしょうがない。 大きくどかっと吸気系を付けて、圧縮比上げて、そこそこのカムシャフト入れて、まずは基本的にこのエンジンのポテンシャルどうなんだろうという所から始まって、 インマニ関係もワンオフで作って変えなきゃいけない部分は、クランクシャフト削り出したりとか、コンロット変えたりはしましたけれど。
まずはレギュレーション以内の所でやって、ベンチ搭載して回しました。」
-その結果は?
「その結果は160馬力。今のコンプリートエンジンで、お客様に渡すエンジンですけれども、これと変わらない性能からスタートしたので、参ったなと。」
-当時のヨーロッパのライバルは、すごい事になっていましたよね?
「200馬力超えたような数字を表記していたので、 あとここから40馬力以上で勝てるのかなという不安は、まずありました。
相手が何をやっているかというのも、全て我々把握しきれていないっていうのもありましたが、 まずはそこからスタートです。」
- 【2002年 スズキスイフト スーパー1600 デビュー】
- -そして2002年に実戦に投入してきたわけなのですが、最初勝てませんでしたね?
「はい。やはりちょっと出足の遅れと、色んな部品の申請をするのですが、当初あとで進化した分を進化申請して、変更して進化させて行けばいいという所もありました。
でもこのカテゴリーは、トップカテゴリーとは違って、コスト的に抑えなさいという要素もあるクラスだったので、 新しく作った物をどんどんイベント毎に反映する事が許されなくて、当初は初期に作った物を、我慢して性能を維持して行くしかなかった時期はありました。」
-ドライバーからは何かインプレッションとかあったのですか?
「やっぱり色々ありましたね。相手に対してエンジンパワーが足りてないとか、車両側の進化も含めてまだ手探りだったので、 それはドライバー達も分かってくれて、一緒にやってくれていましたから。でもその中でもエンジンは課題だという事は、当初から分かっていました。」 - 【勝つための開発】
- -そのM型エンジンが、最終的には世界最強の1600ccエンジンになった。次の段階はどんな感じだったのですか?
「最初の国内でも発売されていたスイフト2ドアのHT81タイプの車で始まったのですが、最初によかれと思ってホモロゲーション取った部品が 大きく変更出来ない。
でも出来ない中で、イベント参加はその部品でしなければいけない。静岡県磐田市竜洋のここでその次に勝つために、開発を進めていました。」
-開発は、この静岡でやっていたのですか?他のメーカーなんて、日本のメーカーだけど開発拠点はヨーロッパだったりするじゃないですか。 全部ここなんですか?
「そうなんです。それはやはりモンスター田嶋こと、我々のボスの田嶋伸博さんのポリシーが、日本人で。日本でと 日本のもの作りというのが基本でしたから、ここのスズキスポーツの竜洋の拠点で、車造りからエンジンの開発、エンジニアの派遣、全てここでやっていました。
当然イベント運営は、ヨーロッパの人たちに協力してもらわないといけないので、イギリスに拠点があったりして、集まって色んな事はしていましたが、 開発の拠点は基本的には、ここで全てやっていました」
-となるとヨーロッパで開発するメーカーと比べると、飛行機の往復分だけでも、開発のスピード感って遅くなりますよね?そんな事はなかったのですか?
「投入した結果は現地に人も行っていますから、それは持ち帰られるし、ネットの時代で色んな情報は入手しやすくなったし、 技術的な事は、飛行機の上だとか、遠いからとかいうよりは、確実にここでしっかりテストを繰り返して行けば。
車両の場合はドライバーが乗らなきゃとか、路面でとか、ヨーロッパでテストしますけれども、最終的に車としては我々もテストしていました。
日本では作動確認して、ヨーロッパに送って、ヨーロッパでちゃんとしたドライバーで実際のイベントで使われたコースを使ってテストしていました。
でもエンジンは数値化出来るんです。ベンチテストっていう所で。何馬力っていう所を自分達で目標を決めてやって行けば、 それに対して何を変えて性能が上がって来たのかっていうのは全て把握出来ますから、この部屋の中で全て行う事が出来たと。」 - 【2003年 スズキスイフト スーパー1600 初優勝】
- -そうやって開発して来たエンジン。スズキとしては2シーズン目となる2003年に、いよいよ投入したわけなのですが、この頃になると大分速さを見せるようになりましたね?
「少ない変更点の中でも、変えていい部品があったので、部品を変えて投入出来る物は投入して、イベントの戦い方、エンジンの性能の出し方、部品がようやく間に合って来たのもありまして、 そういう部分で成果を出し始めました。」
-2003年初勝利を挙げました。渡辺さんはその時、どちらにいたのですか?
「イベント会場にいました。」
-どんな気持ちでした?
「ようやくここまで来れたなと。」
-その時の勝因は何だったのですか?
「まだまだエンジンは開発途上でしたが、その分シャーシのレベルアップ、あとは良いドライバーに乗ってもらえたとか。色んな要素がバランス良く上がってきた。 何かが特化していたわけではない。という所ですね。」 - 【2004年 スズキスイフト スーパー1600 JWRCタイトル獲得】
- -その後ついにシリーズチャンピオンまで獲得しましたよね?2004年ですね。その時にはレベルは他のメーカーに追いついたのですか?
エンジンとしては。
「はい。ほぼ追い付いたという自覚はありました。」
-2004年シリーズチャンピオンを獲得した時のスペックだと、最高出力どれくらい出ていましたか?
「215馬力くらいです。」
-215馬力って言うと皆さん大した事ないじゃんって思うかもしれないですが、ラリーって下からのトルクとかが大事になってくるから、215馬力でもやっぱり違うんですよね?
「ラリーの場合ってドライバーが、そんなに回転落としてないとか、低速トルクなんかいらないと言っても、現地行ってデータロガー見るととんでもない。 舗装のラリーで2000回転でアクセル全開にしていたり。
やっぱり見ていても、横に乗っていても、サーキットのように一定でリズムで走って行くんじゃなくて、ペースノート見ながら急激なブレーキして路面変化があったり、 エンジン特性が凄く重要で、色んな組み合わせをして行くと、低速も高速も完璧じゃないかもしれない。
でもわずかな高回転を上げるために、重要な低回転を減らさなきゃいけない。だったら使う領域も考えて、トータルこれがいいだろうという物を常に投入していたので、 その年に何種類もじゃなくて、変えるとしても一番この時が良いという一種類しか投入していない。
でも他のメーカーは三種類も四種類も持ってたみたいな話がある中で、おまえら凄いなっていう事をFIAから言われた事があって。
このクラスは他のクラスからスポンサーを持って上のカテゴリーに上がりたいから、翌年はスズキに乗ってみようかとか、良いチームを一生懸命探している若手のドライバーがいて、 去年までルノーに乗っていたりとか、シトロエンに乗っていたりとかいうドライバーがオーディションで乗ったりするのですが、 最初に低速トルクがあって、すごいエンジンが良いっていう評価を、その頃からもらえるようになりました。
エンジンだけは実際なんとか出来るっていう自信は当時からありました。」 - 【2004年 スズキスイフト スーパー1600 JWRCタイトル獲得】
- -2004年になると、ベースモデルも5ドアになって、シャシー性能も随分上がって来たという風に聞いています。
「最初のモデルでホモロゲの枠と変更出来る枠を使い切ってギリギリ何とかシリーズで1勝2勝上げられるように なってきたけれども、まだまだトップと対等に争える状況ではなかった。
参戦当初からそれは分かっていたので、その間イベント参戦しながら次の車を目指して、 エンジンも車体も開発をして、一世代前の車の問題点をなんとかここに取り込もうと。
幸いなことに基本ベースのエンジンは、スーパー1600の中ではM型エンジンを使わせてもらって、車体側も2003年から2004年に変わるタイミングというのは、5ドアに変わったけれども サスペンション含めた基本的な構成が一緒だったので、色んな改良点が全て使えたというメリットがあったので、満を持してそれを投入しようという事で開発を続けて来ました。」
-そうなって来ると、当初のお買い物車のM型エンジンとは全く違う物になっていたのですか?
「もうその時点では。当初の始めた時の不安から、ようやく勝ちが見え始めた頃からその先が見え始めたので、一気に色んな事が可能になって、参戦1年目から日本のジャーナリストの方に、 このカテゴリーだったら我々みたいな日本のチームで、日本で作った車造りで絶対勝てるはずだと言った覚えがあって、言うからには有言実行で何とかしたいと思ってやってきた結果が2004年。
2004年もまだ若干、新型の車を投入となると、色んな開発した物が良くても、最後の現地の路面に合わせるとか、ドライバーがそれに慣れるとか、 基本スペックは良くても最終的なセッティングは色々なタイムに影響するので、その部分では、ちょっと出遅れた感が、初戦のモンテカルロなんかはあったかもしれないけれど、 それ以降は一気に成績を上げて、最終的にチャンピオンを取る事になりました。」 -
そして今も名車と名高い「あの」クルマが登場します!