MONSTER IN HILL CLIMB
ヒルクライムとは
自動車というものが生みだされて間もない1897年、フランスのニース郊外の丘を舞台に、記録に残る限りでははじめての自動車による山登り競争—ヒルクライム—が開催された。
ヒルクライムは、最も古くからあるモータースポーツの1つの種目である。
山頂を目指し、ドライバーが己のマシンを駆ってひた走るこの競技は、シンプルで荒削りにさえ見えるが、それゆえに人を惹きつける魅力がある。山を駆け上るというその競技の性質上、レースの舞台は見晴らしのよいロケーションであることが多く、また、普段公道として使用されている道路であることもあり、高度な競争の場でありながら、独特のアットホームな雰囲気を持っている。それもまた、競技者やファンを捉える要素なのだろう。日本ではあまりポピュラーではないが、欧米には大きなイベントも多く、熱心なファンを擁している。
世界で一番大規模で有名なヒルクライムイベントは、アメリカのコロラド州、パイクスピークの観光道路を舞台に開催されるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム—通称レース・トゥ・ザ・クラウド—である。1916年に創始されたこのイベントは途中第2次世界大戦による中断などをはさみながらも世界各地から挑戦者を集め、最も注目されるヒルクライムのイベントに成長した。
今や、1911年から始まるインディ500に次いで、単一シリーズとしては世界で2番目の歴史と伝統を誇るにいたっている。
標高4300のゴール地点に向かって、約20kmのコースを、ひたすら駆け登る。スタートとゴールでの高低差は実に1400mを超える。これまで、ラリーチャンピオンなど、国際的に著名なドライバーが多数このイベントに挑戦している。スタート地点からは見えないゴールを目指して、厳しい高地特有の天候やスリッパリーでラフな路面と向き合い驚異的なタイムをたたき出してきた彼らの挑戦する真の相手は、過去樹立されたレコードでも他の競技者でもなく、パイクスピークという頂そのものなのだろう。
モンスター田嶋の情熱
この究極のモータースポーツに魅せられたのが、モンスター田嶋だった。1988年からパイクスピークに挑戦を開始。数々の難題に挑み、跳ね返され、また挑んできた。その結果、パイクスピーク参戦で磨かれた技術は有形無形を問わず多岐に渡った。そして、マシンの完成度が高まった90年代後半からは、ニュージーランドで開催されるレース トゥ ザ スカイ(クイーンズタウン・ゴールドラッシュ)にも参戦。圧倒的な強さを誇り、2006年には遂にパイクスピーク ヒルクライムとレース トゥ ザスカイ両イベントを制する快挙を達成した。
そして2007年、新たなる伝説が生まれた。パイクスピークヒルクライムにおいて13年間破られることが無かった記録を破り、新たなるワールドレコードを樹立。「King of the Mountain」という称号を得たのだ。
そして今年、「King」は再び頂を目指す。パイクスピークに挑戦を続けて20年以上。この山を誰よりも知る男が、ブレイクスルーへの想いを胸に再び標高4300mのパイクスピークに挑む。
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2011年6月26日、ワールドレコードは再びモンスター田嶋によって塗り替えられた。そのタイムは9分51秒278。自身の持つコースレコード10分01秒407を10秒以上更新し、遂に10分の壁を破ると同時に6連覇も達成した。
2012年からはコース全体が舗装路となると言われており、それが実現した場合、ダート路面を含むコースでは最後の記録となる。この記録は、クラシック・パイクスピークのコースレコードとして永遠に刻み込まれるだろう。
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