スズキスポーツ エスクード&モンスター田嶋
パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム 総合優勝!
90周年を迎えた世界最大のヒルクライムレース「第84回パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」(アメリカ・コロラド州)の決勝レースが7月1日行われ、スズキ エスクード・ヒルクライムスペシャルを駆るモンスター田嶋こと田嶋伸博が、この記念すべき大会で総合優勝を獲得した。
スズキ エスクードとモンスター田嶋は、テストから好調にセッティングを進め、トップセクションを走行するプラクティスDay1、ボトムセクションを走行するDay2共にトップタイムを記録。コースレコードの更新がいよいよ現実の物として迫ってきた。
しかし、決勝では大自然の力がエントラントに襲いかかった。二輪部門のトライが終了した頃、トップセクションの雲行きが怪しくなり、同時に雪が降り出したのだ。みるみるうちにトップセクションは一面の雪に覆われてしまった。スタート地点は快晴にもかかわらずである。これによって競技は数回に渡り中断。さらに、追い打ちをかけるようにポップコーン大の巨大な雹が降り注ぎエントラントを襲う。この状態ではトップセクションの走行はあまりにも危険とあって、最終的に、レースはコース全長の約3分の2である、16マイルポスト付近をフィニッシュとする短縮コースで行われる事となった。
総合優勝と共にコースレコード更新の期待が掛かっていただけに、短縮コースでの開催は残念だが、モンスター田嶋は全力でアタック。中間地点までのタイムはロッド・ミレンの持つコースレコードを7秒凌ぐ速さを記録した。そして、アナウンサーの絶叫と共に、山頂まで約6kmを残したデビルズプレイグラウンドのフィニッシュラインを通過。2位のW.ダレンバック選手に44秒もの大差をつける7分38秒を記録し、90周年の記念すべき大会で悲願の総合優勝を獲得した。
"Race to the clouds"(雲の上のレース)と呼ばれるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムの歴史は長く、第1回の開催は1916年まで遡る。途中、戦争での中断もありながら、今年は84回目の開催となった。
レースは標高2,862mのスタート地点から4,300mの山頂までの高低差1,400m、コース全長20km、156箇所のコーナーを一気に駆け登り、そのタイムで勝負が決まる。コースはスタートからゴールまで3つのセクションに分けられる。森林地帯でハイスピードコーナーが続くボトムセクション。複雑なコースによりドライビングテクニックが要求されるミドルセクション。そして、森林限界点(3,660m)を越え、赤茶けた岩石と残雪の世界が広がるトップセクション。決勝では、この3つのセクションを走破し、山頂のゴールを目指す。
路面は基本的に良く締まったフラットダートだが、年々舗装が進み、それがタイヤ選択を難しいものにしている。また、コースサイドの多くはガードレールの無い断崖絶壁であり、1ミスで全てを失う可能性も含んでいる。
また、標高が高いために気圧が低く、酸素量も少ないために、ドライバーとマシンへの負担は並大抵のものではない。特にマシンメイクにおいては、1000ps級のパワーや巨大なウイングを備えたエアロダイナミクスボディが際立つ存在だ。
スズキとモンスター田嶋のチャレンジは1989年に始まり、1993年にツインエンジン・カルタスでアンリミテッドディビジョン優勝を獲得。1995年には、ツインエンジン・エスクードで参戦し、今大会と同様に天候不順で短縮されたコースで総合優勝を獲得している。